アメリカへの旅・第19話(ラスベガス編)

2024年9月、アメリカへ旅をした時のお話を、日記に綴ろうとココへ書き始めたら、あらまー、いつの間にか第19話となってしまった!
ここまでの主な内容は、
❶L.A.エンゼルス時代の「大谷翔平」の試合観戦。
❷都農出身・黒木健太ファミリーと食事
❸ロサンゼルス・ディズニーランド、開園から閉園まで遊びまくる。
❹ラスベガスに住む「ミュラー家」へ

8年前の渡米の際も、やはり4つのミッションがあった。
❶世界最大の美容の祭典「ビューティーワールド参戦」
❷都農出身のサンタモニカ大学生・黒木健太の髪を切る(ハリウッドサインの丘で)
❸海外で活躍する2名の美容オーナーとのセッション
❹中学生の頃ホームステイした時(当時はカルフォルニア・マーセッド)のファミリーと、再会スペシャルをするコト
(前回の内容と、比較すると面白い)

8年前の今頃(2017年1月下旬)、アメリカ大統領にトランプ(第一次政権)が誕生した直後に、私はロサンゼルス空港へ舞い降りた!まさに空港の外では『トランプ反対』の激しいデモを間近で見た!(動画を撮影していたら、現場の人に怒られた)


ラスベガスの街に聳え立つ、トランプホテル。


8年経っても変わらないのは、雄大なロッキー山脈。
日本では見られない風景。

当時は、36年ぶりの再会も、ミュラーファミリーは温かく私を迎え入れてくれた。

※上が2017年。下が2023年。

ウォルターお父さんとダニー兄さん

今回のお迎えは、父さんとタッド

最初に出会った1981年7月の写真(44年前⁉︎)

お母さんのローラは、「日本へ帰ったら、必ず電話してちょうだい」と、
私は約束通り電話をかけた。「逆ホームシック」になり、翌日もかけた。
しかし国際電話は、たった5分間でも1万円を超え、2回きりでやめた。
「毎年クリスマスカードのやり取りをしましょう!」
この約束は、25年間続けた。
ローラお母さんがガンで他界するまでは…

(お母さんは、映画STARWARS のレイア姫にそっくりだ!)

教師であるローラお母さんからのエアメールは、とてもキレイな文字と、辞書も要らないほどわかりやすい英単語で、毎回の内容は、私の歳の前後のダニー兄とタッド弟の現状報告。
彼等の成長の記録、決まって数枚の写真が入っている。
大学アメフト、警察官へ就職、新しい赴任先、結婚、ベイビー誕生…
当然、私からも同じように手紙と写真で報告した。
日本とアメリカ、土地は違えど、そこからの25年って激動の嵐だから!

「あなたとあなたの家族は、元気にしているかしら?」
「もしも出来る事なら、あなたの写真を私に送ってくれる?」
「あなたとあなたの家族の幸せと健康を祈る」
Love, だったり、Sincerely, で締めくくったり…


(左手・真ん中の女の子は、Paige。父と同じく勇敢な警察官に)
(8年前は、ちょうどドイツから帰国しており、ネリス空軍基地で一緒に銃を撃たせて貰った!)

手紙の始まりと終わりには形式があり、私もコピーして使っていた。
何よりもローラお母さんからの、海よりも深い愛を感じた。
学校から帰宅したら、親から、
「アメリカから手紙が届いちょるぞ!」
女の子から貰うラブレターよりも、遥かに興奮していたものだ♪

年賀状すら書かなくなってしまった昨今、
改めて愛の籠った手紙をしたためる、っても乙だよね。
ローラお母さんのコトを思い出しながら〜

(ウォルターお父さん、50歳の誕生パーティ @1994年.現在80歳)

因みに、我が家の愛犬・シュナウザー(3代目)の名は、
「ローラ」なのだ⭐︎
もちろん、ミュラー家の許可は得ている。

Lauraお母さん、8年前、再会スペシャルは出来なかったけど、
これまで沢山の愛をありがとうございます❤️
私を産んでくれた母・千鶴子と、あなたのお陰様で、今の私があります!
色んな経験をさせてくださり、ありがとうございます。

(blogは、ついに大台・第20話へとつづく…